魔法使いの弟子の見習い書記官の「研究手帖」

単行本『人魚變生』刊行40周年に寄せて -各作品由緒書き
<開設 2022/05/05 → 最終更新 2022/05/06>


≪ごあいさつ≫
 「耽美派イマージュ浪漫珠玉集」と銘打たれた山田章博先生の最初の単行本『人魚變生』が、東京三世社の「マイコミックス」の一冊として刊行されたのは、1982年(昭和57年)4月下旬の事でした。2022年4月下旬で、刊行から40周年にあたります。なんでも周年で記念すればいいというものでもありませんが、単行本『人魚變生』は、やはり山田章博先生の画業の中でも画期となる特別な一冊。せっかくですので、お祝いしておきたいところです。
 しかし、単行本『人魚變生』を彩るその洒脱な作品群は、語ることでむしろその魅力を損ねてしまうような風情もあって、言祝ぎにと稿を起こすにあたっても、なかなかに悩ましいところ。また、長年愛読されている方も多い一冊なので、うっかりした事は書けない気もいたします。それでも、ここに収録された各作品の由緒などをどこかに書き付けておくことは、40年を経た今となれば一応意味のある事ではありましょう。

 なお、筆者は当時まだ小学生低学年でしたので、実際に当時の状況を知るわけではありません。『人魚變生』に耽溺する小一男子がいたってかまわないわけですが、残念ながらそうではありませんでした。というわけで、記憶からではなく、資料などを紐解きながら、よしなし事を書き連ねていこうかと思います。

初音むつな
(魔法使いの弟子の見習い書記官)


CONTENTS
▽ Advance notice : 刊行告知
▽ Event : サイン会と原画展

▽ 「装画」
▽ 「口絵」
▽ 「人魚變生」
▽ 「魔法使いの弟子」
▽ 「素描集 みづは」
▽ 「まきゃあじゅ」
▽ 「天空人讃揚」
▽ 「マヌカン」
▽ 「影夫人異聞」
▽ 「バレエの計画」
▽ 「ぱだん ぱだん」

▽ 附記 : 南條竹則先生と山田先生
▽ 関連サイト




Advance notice : 刊行告知

 単行本『人魚變生』の刊行が告知されたのは、東京三世社(スタジオIWAO編集)の季刊誌「少年少女SFマンガ競作大全集」PART14(春の号)での事。1982年3月6日発売のこの雑誌の裏表紙(表4)を、「魔法使いの弟子」のあの印象的なヒトコマ、積み上がった魔術書に腰掛けた小悪魔が大々的に飾っています。この時点では「幻想珠玉SF短編集」と添えられる予定であったようで、このあたりの変遷もなかなか興味深いところ。
 「少年少女SFマンガ競作大全集」PART14には、この他にも誌面のあちこちに単行本『人魚變生』の広告が。まず同号P3の柱広告には、「あづま新聞」の企画でタラコをかじる吾妻ひでお先生のお隣に、「堂々、初の単行本化成る!!」と添えられたクールな山田先生の立ち姿のお写真が、カラーで掲載されています。もしかしたら、絵よりも先にまずご本人の姿を知った、という方もいらしたかも…。また同号P187のもうひとつの柱広告では、昇天する小悪魔の図版に「とある港町で見つけた少女。その金色の瞳はいったい何を見つめているのか。新鋭初のロマンあふれる幻想短編集。」といった格調高いキャッチコピーが添えられていたりして、単行本『人魚變生』への期待を高めています。
 このほか「少年少女SFマンガ競作大全集」PART14では、関西在住の漫画家座談会「関西コミックパワーの秘密」の中にも山田先生が加わっているなど、新人魔法使いの売り出し企画として、なかなかの充実ぶり(ちなみにP187の柱広告は、座談会でなごやかに微笑む山田先生の写真の隣に掲載されたものでした)。編集部の力の入り具合がよくわかります。

 「少年少女SFマンガ競作大全集」PART14での告知によれば、1982年4月15日までの予約者先着300名には、山田先生の自筆サイン入り本が届いた模様。単行本『人魚變生』の一ヶ月前に上梓された竜巻竜次先生の単行本「ザ・タックスマン」でも同様の企画が告知されているので(実は森脇真末味先生のアシスタントをされていたおふたりの単行本が、連続刊行されていたのでした)、このあたりは当時の東京三世社ではよく行われていたプロモーションだったようですが、サインを入れるために積み上げられた300冊の『人魚變生』という図は、想像するとかなり壮観ですね。

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Event : サイン会と原画展
 そして1982年4月下旬、単行本『人魚變生』は発売されました。東京三世社の「マイコミックス」なので、ハードカバー上製本です。初版帯に曰く、「新しい魔法使いの初めての本です。情感を描く'82年の驚異的新人山田章博 白いページの中では耽美という言葉も死語になる。漂いながらお読み下さい」。おそらくスタジオIWAOの編集長の手になると思われる惹句、いまあらためて読んでみても、蕩けるように魅惑的な一文です。本当はこの惹句以上の説明なんぞは、無粋の極みであろうとは思いますが、稿を進めて参りましょう。

 さてその単行本『人魚變生』、発行日は5月10日付ですが、発売日については4月下旬という事までしか、よくわかりません。しかし5月9日にはサイン会がおこなわれたようなので、確実にそれまでには発売されていたのでしょう。単行本『人魚變生』発売にかかわるイベントは、少なくともふたつありました。ひとつは、大阪「駸々堂書店 梅田店」(「阪急ファイブ」5階)でのサイン会。もうひとつは、東京「漢口堂書店 阿佐ヶ谷店」(「阪急共栄ストアー」2階)での原画展です。
 大阪「阪急ファイブ」(現在は建て替えられて、赤い観覧車で有名な「HEP FIVE」となっています)の5階にあった「駸々堂書店 梅田店」は、通称「Books5 駸々堂」として、当時の漫画ファンにはお馴染みのお店だったようですね。単行本『人魚變生』のサイン会が催されたのは、1982年5月9日のことだったようです(実は裏付け資料がないのですが、以前先達からそのように教えていただきました)。ネットオークションで見かける画像などを見ると、この時のサインは現在のような斜め書きのものではなく、「山田章博」の四文字がきっちりと楷書で書かれています。
 さて、この「駸々堂書店 梅田店」。当時はその売り上げランキングが、出版取次大手「日販」の書店向け情報誌「日販速報」に掲載される漫画単行本のヒットチャートのひとつに使われていたので、ここでサイン会を催して週刊ベストセラーとして掲載されると、タイトルが全国の書店員の目に止まるという仕組み。販促として、実はかなり意味のあるイベントなのでした。作品そのものが魅力的であったのはもちろん、単行本『人魚變生』のヒットの影には、こうした編集部・営業部のたゆまぬ努力もあったんですね。
 一方、東京「漢口堂書店 阿佐ヶ谷店」での単行本『人魚變生』刊行記念の「山田章博原画展」については、1982年6月20日~27日に開催。阿佐ヶ谷の「漢口堂書店」もこうした漫画関連のイベントの多いお店だったようです。「少年少女SFマンガ競作大全集」PART15(P213)や「ぱふ」1982年6月号(P98)に告知記事があり、サイン本の販売などもあった事がわかりますが、展示された作品などの詳細については、今となってはよくわかりません。
 と、なんだか前置きが長くなりましたが、以降では単行本『人魚變生』収録の各作品の出自を探って参ろうかと思います。

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「装画」
<初出>
(ⅰ)「SOOKUN BUS!」
(ⅱ)個人誌「天空人讃揚」


 "墨の魔術師"の名にふさわしい墨絵の装画。「人魚變生」作中で主人公「私」が、人魚「美魚」を東方趣味的に着飾らせたイメージかと思われますが、この観る者を陶然とさせるような美しい一枚、実は描き下ろしではありません。イラストの四辺に置かれた「人魚變生」の四文字も含めて、同人出版「JET PLOPOST」の同人誌「SOOKUN BUS!」に掲載されたものが初出(同誌P53)。「SOOKUN BUS!」の発行日はその奥付によれば1980年11月27日ですので、単行本『人魚變生』の装画は、なんと刊行の1年以上前から準備されていた、という事になります。さらにこのイラストは、1981年5月発行の個人誌「天空人讃揚」にも収録(同誌P35)されていて、単行本の装画としての採用は、実はさらにその後の話なのでした。
 ちなみに、巻末の「真面か冗句か 二枚目&二枚半Q&A」に添えられた女性の顔のイラストも、実は装画と同じく「SOOKUN BUS!」から個人誌「天空人讃揚」を経て、単行本『人魚變生』に収録された1枚です。

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「口絵」
<初出>
描き下ろし


 カラー口絵は、枯れ木に足を抱えて座るフェアリィ。その羽根は哀れにも破れ、彼女のまぶたは閉じられていますが、しかしその顔は凜として空を見上げています。おそらくこの一枚は描き下ろし。"ファンタジィ"をそのまま写し取ったようなこの絵は、幻想的な一冊、単行本『人魚變生』への導入として、申し分のない素敵な一枚と言えましょう。
 はじめての単行本の最初のページに置かれたこの絵は、山田先生が少年時代に愛読したという「オクスフォード版イングランドの民話集」こと「オクスフォード 世界の民話と伝説 第1巻 イギリス編Ⅰ」(中野好夫・谷村まち子訳/昭和39年/講談社刊)に綴られているような、ケルト風のファンタジックな世界のエッセンスが抽出され、描き出されたもの。この一枚からは、そうした作品群への山田先生の深い憧憬が見てとれる気がします。(「オクスフォード版イングランドの民話集」については、「ふぁんたすてぃか」巻末の「Kyoto Studies」や「ロードス島戦記 ファリスの聖女Ⅰ」(ドラゴンコミックス版)巻末の「ファリスの聖女を語る」などをご一読くださいませ。)
 なお、これは余談も余談。先日、「乱葉」2号(1978年12月1日発行/大阪経済大学漫画倶楽部「飛行舎」会誌)に掲載された、山田先生も関与したとみられる絵物語「飛行少女」を読む機会を得たのですが、それを読んでからこの口絵をあらためて目にした時、はっと思い至るものがありました。思い過ごしかもしれませんが、この口絵は「飛行少女」のイメージの延長線上にあるもののように思われます。そしてそうであるなら、当然ながらこの絵は「なんとなく」ここに配されたわけではないのでしょう。「乱葉」2号は、高知の「横山隆一記念まんが館」(2022年5月現在は休館中)に収蔵されていますので、機会があればぜひそちらもご覧あれ。

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「人魚變生」
<初出>
(ⅰ)「ZOO」Vol.3
(ⅱ)「ALLAN」第7号


 表題作「人魚變生」は、単行本奥付の収録作品初出メモでは「'79年同人誌ZOO Vol.3」が初出となっていますが、これはやや判定が微妙なところ。確かに最初に「人魚變生」が発表されたのは「ZOO」Vol.3(1979年5月30日発行)なのですが、単行本『人魚變生』に掲載されているのは、これがかなり改稿された、雑誌「ALLAN」第7号(1981年11月5日発売/月刊「OUT」12月増刊号)掲載版なのです。山田先生の初期のファンクラブである山田章博後援会「天空人」の会誌「えけれしゃ」Vol.1(1982年3月28日発行)の特集「人魚變生」のページに、描きかえられた各コマを比較検証するコーナー「どちらがお好き」なんてものも掲載されるぐらいには(同誌P6-7)、かなり印象が違う場面があります。
 同じ「えけれしゃ」Vol.1掲載のインタビュー(同誌P21)によれば、特に「ALLAN」に載せるために描き直したというわけではなく、「あの絵柄がそんなに手になじんだ絵柄じゃなかったんで、どうしても浮いてる部分というのがあってね。」という事だったらしく、ご本人にしかわからない(であろう)こだわりがあったようです。気になる方は、ぜひ「ZOO」Vol.3のものと比較してみてくださいね。ちなみに「ZOO」Vol.3、70年代の漫画同人誌ということで、なかなか古書店やネットオークションに出るものではありませんが、大阪の「大阪府立国際児童文学館」や高知の「横山隆一記念まんが館」(2022年5月現在は休館中)に収蔵されていますので、そちらで読む事もできます。

 さて「ZOO」Vol.3に掲載された「人魚變生」は、その後「ぱふ」1979年11・12月号掲載の特集「全国まんが同人誌地図」(P109)で大々的に紹介され、衆目を集める事となります。間違いなく山田先生の代表作のひとつですが、前述の「えけれしゃ」Vol.1に掲載されたインタビュー(同誌P14)によれば、作品の構想を練るのにはもちろんある程度の時間を要したものの、実際の執筆期間はかなり短く、なんと「1週間程度」だったそう。山田先生からは、当時「一番時間がかからなかった作品」として「人魚変生は早かったね。」と挙げられているのですが、この計34ページの傑作を「気がついたら」描いていたとの事で、のちにこの逸話を目にした側としては「え?本当に?」と、慄然とするところではあります。
 単行本『人魚變生』に収録された「ALLAN」版の「人魚變生」の方では、実は巻頭4ページは雑誌掲載時はセピアを基調としたカラーでした。これを美麗な彩色の状態で見られるのは、今のところ掲載誌のみなので、気になる方は「ALLAN」第7号をご確認くださいませ。(ちなみに雑誌の特集が「破壊と退廃の第三帝国」で、時節柄あまり強くお薦めしにくいのが難点ではあります。)
 「えけれしゃ」Vol.1の特集「人魚變生」に掲載された情報(同誌P7)によれば、雑誌掲載時に台詞は写植化される予定だったものの、難しい漢字が多すぎるという理由で、結局手書き文字のままとなった由。単行本でも「人魚變生」の手書き台詞は継承され、現在に至りますが、こうした作品の運命というものも、なかなかおもしろいものです。

 「ソーダ水の鳥」で縁の深い鳥図明児先生のファンクラブ会誌「Qui Paan」13・14合併号(1984年6月20日発行)に掲載された、山田先生へのQ&A形式のインタビュー(同誌P42)の中に、ひさうちみちお先生の「この一場面、この一コマを描きたい、という気持ちから、ひとつの作品ができあがることもある。」という言葉を引いて、「山田先生にもそういう作品はあるか?」という問いかけがあるのですが、それに対する山田先生の回答は「全部。」というものでした。
 「人魚變生」の場合は、その「一コマ」はおそらく最後の一ページ、美女が箱から頭をもたげるあのラストシーンでしょう。ストーリーラインは異なりつつも、漫画同人誌シーンへのデビュー作となった「海辺の音楽」とイメージを共有するその一場面を、山田先生が如何に想起していったのか?というあたりは、個人的に少し興味を引かれるところではあります。(「海辺の音楽」は、「乱葉」創刊号(1977年6月6日発行/大阪経済大学漫画倶楽部「飛行舎」会誌)掲載作。のちに単行本「機巧亭茶館」に収録されたので、ありがたい事に現在は手軽に楽しむ事ができます。)

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「魔法使いの弟子」
<初出>
(ⅰ)「ZOO」Vol.4
(ⅱ)「FUSION PRODUCT」1981年8月号


 山田ファンにはお馴染みのキャラクター・小悪魔が登場する「魔法使いの弟子」は、「ZOO」Vol.4(1980年4月1日発行)が初出。この計12ページの作品は、おそらく同人誌掲載時からほとんど手を加えられないまま現在に至っており、極めて完成度の高い一作と言えましょう。
 ただし「人魚變生」とは違って、「魔法使いの弟子」の方は、雑誌「FUSION PRODUCT」1981年8月号(1981年7月17日発売)掲載時に、台詞が手書きから写植に変更されています。違いを見比べようという向きは「ZOO」Vol.4を確認する必要がありますが、「ZOO」Vol.3同様、大阪の「大阪府立国際児童文学館」や高知の「横山隆一記念まんが館」(2022年5月現在は休館中)に収蔵されていますので、ぜひそちらをご訪問くださいね。
 コメディタッチに描かれる小悪魔くんの不幸ぶりが楽しい「魔法使いの弟子」ですが、ZOOの会報「MARINE LAND」No.41によると1981年4月頃に雑誌「ぱふ」に掲載される予定もあったようで(実際にはこの時期は「ぱふ」は休刊中でした)、実は密かに当時の「ぱふ」と「FUSION PRODUCT」の分裂騒動にまで翻弄されたりもしていたようなのでした。

 「魔法使いの弟子」の先行作品と見なせそうな作品には、あまり知られていない「A Jester's Promenade」という計9ページの短編があります。筆者も先日ようやく鑑賞する事ができましたが、1976年前後に描かれたものとおぼしきこの作品、主人公は小悪魔くんの原型のように見えますし、一部の場面はその後「魔法使いの弟子」へとそのイメージが転用されているように見えます。貴重なコピー本「A Jester's Promenade」は、高知の「横山隆一記念まんが館」(2022年5月現在は休館中)に収蔵されていますので、機会があればぜひご覧いただきたい次第。

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「素描集 みづは」
<初出>
「ALLAN」第5号


 山田作品と言えばまずはこれ!とおっしゃる方も多い「素描集・みづは」。主人公の夏目氏を中心に多くの愛読者を持つこの作品が世に出たのは、雑誌「ALLAN」第5号(月刊「OUT」8月増刊号)での事でした。雑誌の発行日は1981年7月5日頃。山田先生のプロデビュー後の第一作にあたりますが、デビュー作「ぱだん ぱだん」以上に、この計39ページからなる一作がファンの方々を魅了したであろう事は疑う余地がないでしょう。雑誌の表紙ではタイトルは「みづは/夢のくさぐさ」とあり、制作中の変遷を予感させます。
 「ZOO」Vol.6(1982年2月15日発行)に掲載された「しのごの座談会 PART3」の中には、「自分の修羅場というのはこの前はじめてやりました。(略)あン時は本当に困った。そういう風に描く状態に慣れてなくて、作品の途中で手がいうことをきいてくれなくなってね、筆持ったらポロッと取り落とすのです。」と、山田先生が執筆中の様子をしみじみと語る場面が(同誌P95)。この座談会中では作品名は明かされていませんが、本文中で「ALLAN」掲載作である事が明記されているほか、座談会の収録が1981年7月との事なので、これはやはり「みづは」執筆直後に語られたものであろうと推察されます。描き手の山田先生も、この一作に相応の力が入っていた事がよく伝わってくるエピソードですね。

 「みづは」とイメージが重なる部分のある先行作品としては、「ZOO」Vol.5(1981年2月14日)に収録された「春宵綺譚」が挙げられそうです。どこがどのようにというのは、筆者は簡潔明瞭に書き出す技量を持ちませんが、山田先生の表現手法を考える上ではなかなか興味深い題材であろうと思われます。計6ページの掌編「春宵綺譚」は単行本未収録作ですが、「ZOO」Vol.5もまた、大阪の「大阪府立国際児童文学館」や高知の「横山隆一記念まんが館」(2022年5月現在は休館中)に収蔵されていますので、いつかそちらでご確認いただければ。
 そのほか、作中に登場する「みづは」について、「ぱふ」1981年12月号の特集「森脇真末味」の中で、森脇真末味先生の「おんなのこ物語」に登場する章子さんによく似ている事が指摘されていたりします(同号P32)。気になる方は、山田先生もアシスタントを務めたこの名作をご一読あれ。(現在は、ハヤカワコミック文庫版・全3巻がいちばん手に入れやすいかと。)

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「まきゃあじゅ」
<初出>
描き下ろし


 「まきゃあじゅ:MAQUILLAGE」は、単行本『人魚變生』の描き下ろし作品。計31ページ。この作品については、単独で語られている資料がほとんどない気がしますが、「えけれしゃ」Vol.1に掲載されたインタビュー(同誌P14)によれば、同じぐらいのページ数の「人魚變生」の執筆が1週間だったのに対して、「まきゃあじゅ」は3週間ちょっとかかったようです。「最近でいちばん時間がかかった」と言いつつ、インタビュアーに「時間がかかっただけのこと事はありますよね。」と水を向けられると、「ないです。すごいつまんないやつで……。」と、執筆直後の山田先生ご本人としては、あまり本作には自信がおありでなかったご様子。
 しかし、「素描集・みづは」から「まきゃあじゅ」を経て「Rendezvous-逢瀬-」へと連なる、画家とそのモデルという題材の一連の作品群、映画監督として著名な岩井俊二氏が、2021年に上梓した美術ミステリー小説「零の晩夏」の執筆に際して「大学時代好きだった山田章博さんの短編コミックスにもかなり支えられました。」とおっしゃっていたりするので、きっとちゃんと届くべきところに届いていたのだろうと思われます(参考:honto ブックツリー/新作「零の晩夏」を描く書斎にあった書物たち)。

 なお筆者個人的には、長らく「みづは」と「まきゃあじゅ」の印象が混在してしまっており、ちゃんと読み直すまでどちらがどちらなのか判然としない状態となっていた事を告白しておきたいと思います。山田先生、すみませんでした。「まきゃあじゅ」、ちゃんと読み直した今は(その灯火の下での緊迫感が特に)大好きな作品のひとつです。

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「天空人讃揚」
<初出>
(ⅰ)個人誌「天空人讃揚」
(ⅱ)「ALLAN」第9号


 「天空人讃揚」は、1981年5月発行の山田先生の個人誌「天空人讃揚」の表題作で、その後「ALLAN」第9号(月刊「OUT」4月増刊号/1982年3月5日発行)に転載されています。計16ページのうち、個人誌版と「ALLAN」版の違いは扉ページ。個人誌「天空人讃揚」での「天空人讃揚」の扉は、あっさりとした文字のみで、副題として「-或いは彷徨える夢魔の群れ-」という文言が添えられたもの。一方、「VISUAL RECITAL」と銘打たれた「ALLAN」版の扉ページは、実は個人誌では冊子そのものの扉ページにあたるものでした。というわけで、単行本『人魚變生』は一応「ALLAN」版に準拠しているという事になります。
 単行本『人魚變生』に寄稿された山科玲児先生の作品解説「水仙の便り」によれば、「天空人讃揚」に登場するキャラクターは「白蛇伝」に影響されたものだとか。「白蛇伝」を嚆矢とする「少年猿飛佐助」や「安寿と厨子王丸」などの東映動画の初期の長編アニメ映画については、それらが「BEAST of EAST-東方眩暈録-」などの創作の根源にあるというインタビュー記事が、「月刊京都」2014年2月号にあります(同号P34-35)。ライブアクション方式などの手法で、リアルな人物の動きをアニメーションに取り込んでいた当時の東映動画作品が、「天空人讃揚」はじめ、様々な山田作品の成立に影響を与えている可能性を想起させますね。

 なお、「魔法使いの弟子」で言及した掌編「A Jester's Promenade」は、実はそのストーリーラインが「天空人讃揚」と双生児のように似た作品。登場する人物や舞台は西洋風ですし、そのため絵柄も「天空人讃揚」とはまったく異なりますが、このモチーフへの山田先生の並々ならぬ思い入れを感じずにはいられません。果たして世界に破滅をもたらす「夢魔」なる存在が、どのような経緯で山田作品に顕現するに至ったのかについては、個人的にはかなり興味をそそられるところです(おそらく答えを得られる日は来ない気がしますが)。山田作品研究を志す紳士淑女の皆様には、高知の「横山隆一記念まんが館」(2022年5月現在は休館中)に収蔵された「A Jester's Promenade」を是非ご一読いただきたいと思います。(ちなみに高知の「横山隆一記念まんが館」には、個人誌「天空人讃揚」も収蔵されています。)

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「マヌカン」
<初出>
(ⅰ)「JET PLOPOST FIRST」
(ⅱ)「ぱふ」1982年2月号


 「マヌカン」こと「L'AMANT DE MANNEQUIN」は、もとは同人出版JET PLOPOSTの同人誌「JET PLOPOST FIRST」(1981年11月17日発行)に掲載されたもの。「JET PLOPOST」版でのタイトルは「Mannequin」でした。当初は計9ページの作品だったものが、「ぱふ」1982年2月号(1982年1月下旬発行)に「L'AMANT DE MANNEQUIN」として掲載された際には、計11ページになっていました。単行本『人魚變生』に収録されているのは、「ぱふ」版の方という事になります。ふたつの「マヌカン」の内容はほぼ同じですので、山田先生が漫画作品の中でどのようにコマを操作するのかを見て取るには、うってつけの作品と言えましょう(とはいえ、まず「JET PLOPOST FIRST」を探さなければならないというのが難題なのですが)。
 雑誌「幻想文学」第2号(1982年11月25日発行)に掲載された荒瀬史氏による単行本『人魚變生』の書評(同号P174)では、「L'AMANT DE MANNEQUIN」と泉鏡花先生の「天守物語」「海神別荘」の関係への言及がなされています。このあたり、筆者などは不勉強で「そうなのか」と唸るばかりで、わかる方にはわかるのだなあと、ただただ羨ましい限り。精進したいと思います。
 ところで「ぱふ」1982年1月号の編集後記(同号P198)によると、この号で掲載される予定だったのは計16ページの作品のはずでした。もしかして別の作品の掲載が計画されていたのか、あるいは「マヌカン」を16ページとする計画があったのか、些末な事ではありますが、そうと聞いてしまうとちょっと気になるところですね。

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「影夫人異聞」
<初出>
「マンガ宝島」


 「影夫人異聞」は、雑誌「宝島」の臨時増刊号「マンガ宝島」(1982年2月10日発売)掲載作。計14ページのこの作品が、山田先生の「小悪魔」とならぶもう一人の人気キャラクター「夜雀」が世に出た、記念すべき一作という事になります。こちらも先行作品が存在するようで、雑誌「SFマンガ競作大全集」PART17(1982年12月6日発行)に山田先生が寄せたコメント(P188)によると、「この作品は、僕が14歳の時に描いたものの焼き直しなんですよ。」との事。その頃漫画を描き始めたと伝わる山田先生ですが、中学生時代の作品というのは、さすがに公開された事がない気がします。果たしてどんな作品だったんでしょうか。(ちなみに公開されている中で最も若い頃の作品は、15歳のスケッチブックから採られたという「すうべにいる」の「Fig39 習作 1971年作」かと思われます。)

 作品のモチーフを共有しているという意味では、「影夫人異聞」とよく似た道具立てとなっている作品に「BAMBOO HOUSE」がありますね。この二作品、夜雀ではしっとりとした展開をみせるのに対して、小悪魔ではなぜかこうなる、というふたつのキャラクターの方向性の違いがくっきりと見て取れる気がしますが、そんな視点で読み比べてみるのも楽しいかもしれません。
 なお、「影夫人異聞」にあわせて、「マンガ宝島」には「大正ロマンの意匠に魅かれる」というインタビューが掲載されています(同誌P130)。やや校正が不足している様子なのが惜しいところですが、デビュー後一年以内の貴重な山田先生のインタビューのひとつ。北原白秋についてなど、今ではあらためて問われないような内容も含まれていますので、ぜひ機会があればご覧ください。

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「バレエの計画」
<初出>
(ⅰ)「FUSION PRODUCT」1982年1月号
(ⅱ)描き下ろし


 単行本『人魚變生』のいちばんの問題作は、実はこの「バレエの計画」こと「Ballet」かもしれません。単行本奥付の収録作品初出メモでは「'81年FUSION PRODUCT 1月号」が初出となっており、確かに同号には「Ballet」が掲載されているのですが、その内容は大幅に異なっているのです。単行本『人魚變生』収録作は計7ページですが、「FUSION PRODUCT」1982年1月号(1981年12月1日発売)掲載作は計12ページ。一部のイラストや文章は重複していますが、内容的には前編と後編のようなおもむきもあります。ふたつの「Ballet」をあわせて読まないと理解が及ばないのかもしれない、とも思わなくもありませんが、あわせて読んだからと言って「理解ができたか?」と問われると、答えに窮する。そんな難解な作品ではあります。
 しかしよくはわかりませんが、この作品には、物体をその変転する運動ごと絵筆で掴み取ろうとする、山田先生の画業の神髄めいたものが隠されているのかもしれません。かつて光文社文庫版「アルスラーン戦記9 旌旗流転」をはじめて開いたとき、光の具合によってか、口絵の中の告死天使(アズライール)が本から飛び立ったような幻影を見た筆者には、そのように思えるのです。
 なお、「FUSION PRODUCT」1982年2月号(1981年12月28日発売)に掲載された「まんが福袋」には、前月掲載の「Balett」が看護婦さん付きで描かれた旨の編集部解説が添えられています。どのような状況であったのかは不明ですが、あるいは山田先生が朦朧としながら描いた「ballet」が描き手の理解も超えており、それがために単行本化の際に翻案がなされた……という可能性も一応なくはないのかな、と想像たくましくしてみるのも一興かもしれません(いや、もちろんそんな事はないと思いますが)。

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「ぱだん ぱだん」
<初出>
「阿蘭」(「ALLAN」第3号)


 「ぱだん ぱだん padam padam」は、「阿蘭」(月刊「OUT」4月号増刊/1981年3月5日発売)に掲載された山田先生の栄えある商業誌デビュー作。タイトルの「ぱだん ぱだん」は、単行本『人魚變生』掲載の「山田章博全調書」(P186)によれば、同名のシャンソンを仮名にしたものだそうです。「短編特集」として掲載された計7作品のうちの一篇。「マンガ宝島」掲載のインタビュー(同誌P130)では、その掲載のきっかけについて「久掛彦見先生が紹介して下さったみたいです」と語っていらっしゃるのですが、「みたいです」という事なので、そのあたりの真偽のほどは不明です。
 「えけれしゃ」Vol.1掲載のインタビュー(同誌P17)には、いつも使っている画用紙ではない粗悪なものを使ったため、スクリーントーンを貼り直そうとしたら紙が全部ついてきてしまったといった悪戦苦闘の様子が綴られており、本作はなかなかの難産だった模様。また山田先生ご本人は「阿蘭」の発売日頃には入院されていたそうで、それがためにデビューの感動があまりなかったとか。またインタビューでは言及されていませんが、雑誌掲載時の「ぱだん ぱだん」扉絵では、作者が「山崎章博」さんになっているなど、今では考えられない間違いも発生していたり。
 そんな様々なトラブルは巻き起こっていたものの、やはりこれがデビュー作。単行本『人魚變生』で「ぱだん ぱだん」の前に配された、「レディーズ アンド ジェントルメン!!」と高らかに詠い上げる編集長の口上からは、本作ではじめて山田章博先生の絵を目にした聴衆の興奮が伝わってくるようです。「墨の魔術師」の称号は、実にこの時、山田先生に捧げられたものなのでした。

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附記 : 南條竹則先生と山田先生
 以上、単行本『人魚變生』に収録された諸作品をめぐるあれこれを書き綴ってきましたが、最後に巻末に収録された「囈語-山田章博讃-」の筆者、南條竹則先生と山田先生のお仕事についても記しておくことにいたしましょう。
 南條先生の人となりについては、荒川区芸術文化振興財団の広報誌「ほっとタウン」2015年8月号(No.320) https://www.acc-arakawa.jp/person/2015/238.pdf の記事で楽しく読むことができるのでそれにお任せするとして、山田先生とのお仕事の機会は、南條先生が翻訳し、雑誌「幻想文学」第2号(1982年11月25日発行)に掲載された、A・E・コッパード「いまはなき王国の王女」の挿絵がその振り出しでした。「いまはなき王国の王女」は、その後なぜか山田先生の単行本「BAMBOO HOUSE」に収録されたので、お読みになられた方も多いことでしょう。(この南條先生訳の「いまはなき王国の王女」が、やがて宮部みゆき先生の「過ぎ去りし王国の城」の執筆につながっていったとも思われるわけですが、それはまた別の話。)

 その後、南條竹則先生は1993年に「酒仙」で「第5回 日本ファンタジーノベル大賞」の優秀賞を受賞し、一躍人気作家に。そして「小説すばる」1996年5月号からはじまったのが、南條先生が古今東西の名著に登場する美女を紹介するという趣向の連載「書中に女有り」でした。その南條先生の手になる「閑人(ひまじん)」と「書痴(ほんずき)」と「紙の精」の軽妙なかけあいによる美女紹介に挿絵を付けたのが、我らが山田先生。

 「書中に女有り」に登場した美女を数えあげますと、(1)蒲松齢「聊斎志異」から 顛当、(2)香山滋「海鰻荘奇談」から キキモラ、(3)トマージ・ディ・ランペドゥーサ「リゲーア」から リゲーア、(4)メリメ「コロンバ」から コロンバ、(5)アーサー・マッケン「パンの大神」から ヘレン・ヴォーン、(6)ポー「鴉その他の詩」から ヘレン、アナベル・リー、(7)幸田露伴「日ぐらし物語」から お柳、(8)泉鏡花「蒟蒻本」から 白露、(9)フィッツ=ジェイムズ・オブライエン「ダイヤモンド・レンズ」から アニミュラ、(10)マックス・ビアボウム「ズレイカ・ドブスン」から ズレイカ・ドブスン、(11)沈復「淫生六記」から 芸娘、(12)ヴェリエ・ド・リラダン「未来のイヴ」から ハダリー といった具合。

 山田先生が描き出した、美しくもどこかもの哀しげなドローイングの多くは中央公論新社「山田章博画集」(2002年4月25日刊)にまとめられているのですが、残念ながら南條先生による本文は単行本などにはなっていないようです。「書中に女有り」の連載は、「小説すばる」1996年5月号から1997年4月号までの全12回。本文あってこそ挿絵は生きるものとも思われますので、こちらも機会がありましたら、ぜひ雑誌掲載時のものをご一読あれ。

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関連サイト
この長口上のタネは、1998年からおよそ四半世紀にわたって山田章博作品研究を展開してきた、砥部粧さん運営のファンサイト「山田章博 作品目録」にあります。いわゆる作品目録から、詳細を究める一枚一枚の絵の注釈まで、ほかではちょっとお目にかかれない豊富な資料が用意されていますので、山田作品研究を志す皆様は、ぜひ一度ご訪問いただけますよう。

「山田章博 作品目録」
http://hako19980222.g1.xrea.com/index.html


また、本文中でも何度か触れていますが、下記の2つの施設にはとても貴重な初期の山田章博先生関係の資料が収められています。機会がありましたら、ぜひご訪問くださいね。

「大阪府立国際児童文学館」
https://www.library.pref.osaka.jp/site/jibunkan/
(* 「ZOO」Vol.3~FINISHなどを所蔵)

「横山隆一記念 まんが館」
http://www.kfca.jp/mangakan/
(** 残念ながら施設改修工事のため、2023年4月頃まで休館中です)
(* 「ZOO」Vol.2~FINISH、「乱葉」2号、「えけれしゃ」Vol.1、「天空人讃揚」などを所蔵)


残念ながら東京三世社から刊行されていたマイコミックス版の単行本『人魚變生』は、版元がすでになく絶版となっていますが、2015年7月には、幻冬舎コミックスからバーズコミックス スペシャルの一冊として新装版の『人魚變生』が刊行されています。電子版も用意されていますので、未読の方はぜひこちらで単行本『人魚變生』の世界へ。

「人魚變生 THE METAMORPHOSIS OF SIREN」 (バーズコミックススペシャル)
https://www.gentosha-comics.net/book/b518883.html

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