魔法使いの弟子の見習い書記官の「研究手帖」

"Ensemble drama of the 1980s in HARIMA"
「姫路」の頃の山田章博先生
<開設 2025/07/21 → 最終更新 2025/07/31>


≪はじめに≫
 原画展の開催地とイラストレーターご本人の間にとりたてて由縁がなくても、なんら問題ないわけですが、少しは繋がりがあったりすると、それはそれで楽しいですよね。というわけで、2025年版の「『十ニ国記』山田章博原画展」の開催地である「姫路」と山田章博先生の間に繋がる細い糸を、少しばかりたぐってみる事といたしましょう。

初音むつな
(魔法使いの弟子の見習い書記官)


CONTENTS
▽「おんなのこ物語」の頃
▽ 漫画研究会「ZOO」
▽ 作画アシスタントの実際
▽ キャラクターデザインの萌芽
▽「姫路」での対談
▽「火狩りの王」そして「アスタリット星国記」

▽ 脚注
▽ 関係年譜
▽ 関連サイト




「おんなのこ物語」の頃
 時は1981年(昭和56年)。この年の1月24日に書店に並んだ「プチコミック」昭和56年3月号には、森脇真末味先生の手になるロックバンド漫画の名作「おんなのこ物語 -ストーリー-」の連載第1回が掲載されていました01。その連載第1回の最終頁の見開きには、背景に石造りの建物などが描かれています02。当時の同人誌(山田章博後援会誌「えけれしゃ」)に掲載されたインタビューを読む限りでは、どうやらこれが山田先生が作画アシスタントに入った際の仕事の成果03。森脇先生はずっと姫路を拠点に描かれているようですので、当然ながら山田先生によるこの背景画も「姫路で描かれたもの」という事になります04
 それからおよそひと月後の3月5日には、雑誌「阿蘭」に「ぱだんぱだん」が掲載され05、山田先生ご自身もプロ漫画家としての第一歩を踏み出されるわけですが、しばらくの間は、ご自分の作品制作のかたわら06、この「おんなのこ物語」の長期アシスタントとしても活動されていて、当時お住まいだった大阪と、森脇先生の仕事場のある姫路を往復しながら、研鑽を積まれていたのでありました。

 なお、山田先生が森脇先生のアシスタントをされていた時期には諸説あり07、「えけれしゃ」ではあたかも「おんなのこ物語」連載第1回からの参加だったように記されていますが、たとえば「マンガ宝島」のインタビューでは「80年の春ごろから今年の夏くらいまで」と仰っています08。さらに平成7年(1995年)2月発行の業界紙「漫画新聞」第208号に掲載された「漫画家リレー訪問記」でのインタビューでは、「二年間勉強させて戴きました」との事09。これらを採用するなら、山田先生のアシスタント業の時期は一年ほど遡り、こちらも森脇先生の人気作である「緑茶夢」シリーズの裏方にも入っていらした、という事になりそうです。

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漫画研究会「ZOO」
 そもそも山田先生が森脇先生の仕事場に作画アシスタントに入る事となったきっかけは、同人誌「ZOO」にありました。当時、正統派の漫画研究会(正統派=漫画・アニメのパロディよりもオリジナルのストーリィ漫画を中心に活動するの意。硬派とも。)として知られていた「ZOO」は10、1977年(昭和52年)4月に結成。最初の集会が神戸市灘区にある「神戸市立王子動物園」で開催された事から、会名が「ZOO」となったようです11
 もともと山田先生が所属していた大阪経済大学の漫画倶楽部「飛行舎」と「ZOO」の交流は、1977年(昭和52年)11月に某女子大の学園祭で行われたZOOの最初の展示会を、飛行舎の面々が訪ねてから12。一方、森脇先生が所属していた姫路を拠点とする漫画創作者グループ「ODIN」と「ZOO」の交流は、同じく1977年秋に別の某女子大で行われたODINの展示会で、「ZOO」Vol.1を「ODIN」4号と並べて売ってもらってから13だったようです。
 その後、山田先生は大学の4回生が終わった1979年(昭和54年)春からZOOに加入し14、同年5月刊行の「ZOO」Vol.3で「人魚變生」を発表。一躍名を馳せる事となりました。森脇先生の方は、1978年(昭和53年)11月刊行の「プチコミック」昭和53年12月号増刊(パステルラブラブ号)にて「OH!マイ兄貴どの」を発表してプロデビュー。「ZOO」Vol.4掲載の「しのごの座談会」(1980年(昭和55年)2月収録)には、ODINからのゲストとして参加されていたのですが15、その後「ZOO」Vol.5に掲載された「しのごの座談会 PART2」(同年8月収録)の段階では、ZOOの会員に名を連ねていらっしゃいました16
 山田先生の作画アシスタント参加の最終的なきっかけは、当時の同人誌(山田章博後援会誌「えけれしゃ」)に掲載されたインタビューでは、「いつも来るアシスタントさんがちょっと都合が悪くて、たまたま、そんなに親しくなかったけど、時間が空いているのは僕しかいなくて……」17と仰っているのですが、しかし後の「漫画新聞」第208号でのインタビューでは、アシスタントを探していた森脇先生が、地方都市の姫路を拠点にしていた事から大都市圏とは違ってなかなかいい人が見つからず、同人誌で交流のあった山田先生に声をかけたという筋立てになっています18。どちらかというと「漫画新聞」のインタビューの方が信憑性が高そうな気がしますが、真相は藪の中。ただ、ZOOが取り持った縁、という事そのものは間違いなさそうです。

 漫画研究会「ZOO」所属の会員のみなさんをざっと見回すと、会長が西宮、副会長が明石19、森脇先生が姫路、その他のメンバーも多くが摂津~播磨の山陽道沿いの地域にお住まいだったようです20。山田先生のご出身はいわずと知れた高知県(高知市)なわけですが、大学時代の数年間の、まだ何者でもなかったモラトリアムな修業時代に、濃密に意見を交わし、互いに絵を見せ合った人々の多いこの土地は、いわば先生の第二の故郷とも言えるような気がします(このあたりは、あくまでも見習い書記官の私見にすぎませんが)。

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作画アシスタントの実際
 森脇先生の仕事場での作画アシスタントの際の実際の様子は、いくつかの資料に残されています。山田先生ご本人の弁によれば、アシスタントのペースがわからず、三昼夜まるまる起きていた事があったり21、同じく作画アシスタントに入っていた竜巻竜次先生による「森脇さんと山田さんが細くて、あの二人は食べへんのですよ」22といった証言があったり。しかしそんなあれこれを拾い集めるよりも、「ぱふ」1981年12月号(特集 森脇真末味)に掲載された、竜巻先生の筆が冴えわたる短編漫画「君よ!愛に生きて!!」を読むのが、手っ取り早くはあるでしょう(山田先生は「長期アシストB」として作中に登場されています)23
 後の「漫画新聞」第208号での山田先生へのインタビューによれば、「自分の描いた線がどういう風に印刷されるか、実際に効果を確認することが出来た」のがデビュー時にかなり役立ったとの事で24、様々な事を考えながら線を引いていらしたようですね。また、アシスタント活動も終盤の時期と思われる「プチコミック」昭和56年12月号に掲載された「おんなのこ物語」連載第10回などを眺めると、よくも悪くも明らかに森脇先生とはタッチの違う背景画が次々と登場25。「おんなのこ物語」は純然たる森脇作品ではありますが、このあたりには、確かに山田先生が作品制作にかかわっていたという痕跡が、しっかりと刻み込まれているように思われます。

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キャラクターデザインの萌芽
 「おんなのこ物語」の連載開始とほぼ同時期の1981年(昭和56年)2月に刊行された「ZOO」Vol.5には、「案・山田章博、画・森脇真末味」とクレジットされた「マスターのお洒落専科」26が掲載されています。内容は森脇作品「グリーンティー・ドリーム」などに登場する喫茶・茶嘆のマスター氏の衣装コレクション。おそらくタイミング的には1980年(昭和55年)中に、森脇先生から山田先生に対して登場人物の服装についての相談があったのでしょう。また、「ぱふ」1981年12月号に掲載された森脇先生のインタビューでは、「おんなのこ物語」に登場する「章子さん」の造形についての山田先生の関与が語られています27。そして、1996年に中央公論社から刊行された「中公愛蔵版 おんなのこ物語1」の巻末には、登場人物たちの衣装コレクション「スケッチブック-おんなのこ物語より-」が掲載され、そこには「おしゃれをする男が、珍しかった時代、仲尾を描くには身近に手本がなく、テーラーの息子に教えをこうた。」との添え書きが28。ここには明記されていないので、実際のところはわかりませんが、前後の状況を勘案すれば、この「テーラーの息子」が、すなわち山田章博先生であるという可能性も捨てきれません(山田先生の御実家は服飾関係でした29)。
 やがて山田先生のゲームやアニメのお仕事につながり、さらには後に京都精華大学で2013~2020年度に客員教授として後進を指導する事となった30「キャラクターデザイン」の萌芽もまた、おそらくはこの姫路の森脇先生の仕事場にあったのでした。

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「姫路」での対談
 そんな山田先生と森脇先生の対談が掲載されているのが、1983年(昭和58年)11月刊行の「ひさうちみちお&やまだあきひろ カンサイマンガ大全集」と、1984年(昭和59年)2月刊行の「SFマンガ大全集」PART24です31。この「デジタル対談」と題されたおふたりの対話は、「おんなのこ物語」の雑誌連載完結からおよそ半年ほどが経過した、1983年夏の姫路で収録されたと思われるもの。ページ数としてはごくごく短いものですが、山田先生が作画アシスタントとして仕事場に入っていた際のエピソードに端を発して、ふたりの漫画家の内面的な相克がつまびらかに。おふたりの作家性を知る上での、非常に貴重な資料となっています。
 そして、この対談が収録された場所は、姫路市内のアーケードのある商店街のどこか。40年以上が経過していますので発見できるかどうかはよくわかりませんが、せっかく姫路に足を運ぶのであれば、記事内の写真に写っているアーケードがどこなのか、ちょっと探してみたいところです32

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「火狩りの王」そして「アスタリット星国記」
 と、ここまでが姫路の頃の山田章博先生の一席。それから月日は流れ、2018年。山田先生は、姫路と同じ播磨地域にある加東市を拠点に執筆を続ける小説家・日向理恵子先生の作品のイラストを手がける事になります。山田絵の装画・挿絵が物語を彩ったのは、「火狩りの王」(ほるぷ出版/角川文庫)。2021年にかけて展開された同シリーズは、全4巻+外伝1巻。好評を博し、2023~2024年には押井守先生の脚本でアニメ化もされました。
 土着の言葉にこだわって書いたと日向先生はエッセイに書き残されていますが33、見習い書記官の中の人にとっては、「火狩りの王」の1巻を最初に読んだ時、ただ物語の文章を目で追っているだけだったのに鼻腔に残った、濁った土の香りが忘れられません。そんな経験はこの一度きり。もしかしたら、日向先生のそんな風に綴られた言葉の向こうには、播磨という土地の風土に根差した何かがあるのかもしれない、とも想像する次第です。
 2025年からは、山田先生が新たにイラストを担当する事となった、日向先生の"ペンとインクの冒険ファンタジー"「アスタリット星国記」シリーズが、本格的に展開されていく模様。今秋開催の「十ニ国記」原画展と同じぐらい、こちらも楽しみにしたいと思います。やがて日向先生のこれらの作品群も、姫路文学館で展示される日が来ると嬉しいですね。

2025.07.27 I hope the event goes well!

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脚注
「おんなのこ物語」の頃
[01]実際の誌面では「新連載」という表記しかありませんが、ここでは便宜上「連載第1回」と記します。
[02]ハヤカワコミック文庫版「おんなのこ物語1」(2006年2月刊)では、P52-53の見開き。ちなみに雑誌「プチコミック」昭和56年3月号掲載の「おんなのこ物語」連載第1回の最終頁(P57)には、「1981年1月14日」と記されています。この原稿はこの日の飛行機便で東京へと飛び立ったものと思われますが、雑誌の発売日は1月24日です。こんなにギリギリでも大丈夫なものだったんですね(日付の記載については、ワイド版の単行本1巻でも確認できます)。
[03]同人誌「えけれしゃ」Vol.1掲載の「愛のインタビュー 其の壱」参照(P15の1~2段目)。
[04]さらに詳細を付記すると、雑誌「ぱふ」1981年12月号(特集 森脇真末味)によれば、当時の森脇先生の仕事場は、姫路市内の3階建ての細長い建物の3階にあったそう(P96の1段目)。時期的には、山田先生の作画アシスタントの現場も、どうやらその部屋だったものと思われます。
[05]「阿蘭」は同号のみで使用されたタイトル。雑誌名としては「月刊OUT4月増刊号アラン」でもあり、通称は「ALLAN」第3号。
[06]「素描集・みづは」が描かれ、雑誌「ALLAN」第5号(1981年7月刊)で発表されたのはこの時期でした。
[07]「諸説」というか、山田先生ご自身がこれまで語られてきた当時のお話にやや異同があり、どうにも時系列的に矛盾が……というところ。どのお話を信じればよいのか悩ましいところですが、少なくとも「おおよそこの時期に、姫路で森脇先生のアシスタントをされていた」という部分だけは間違いないものと思われます。
[08]雑誌「マンガ宝島」掲載の「大正浪漫の意匠に魅かれる」参照(P130の1段目)。1982年1月2日に収録されたインタビューなので、「今年の夏」はここでは1981年のこと。
[09]業界紙「漫画新聞」第208号掲載の「第67回・平成 漫画家リレー訪問記」参照(5面の3段目)。ちなみにこのリレーインタビューは、森脇真末味先生からバトンがまわってきたものでした。

漫画研究会「ZOO」
[10]正統派・硬派:同人誌「ZOO」Vol.4掲載の「しのごの座談会」参照(P56の2段目)。
[11]会名の由来:同人誌「ZOO」Vol.6掲載の「しのごの座談会 PART3」参照(P81の1段目)。
[12]飛行舎との関係:同人誌「ZOO」Vol.6掲載の「しのごの座談会 PART3」参照(P85の3段目)。
[13]ODINとの関係:同人誌「ZOO」Vol.6掲載の「しのごの座談会 PART3」参照(P82の3~4段目)。
[14]同人誌「えけれしゃ」Vol.1掲載の「愛のインタビュー 其の壱」参照(P19の2段目)。
[15]同人誌「ZOO」Vol.4掲載の「しのごの座談会」参照(P56の1段目)。
[16]同人誌「ZOO」Vol.5掲載の「しのごの座談会 PART2」参照(P68の1~2段目)。
[17]アシスタントのきっかけ:同人誌「えけれしゃ」Vol.1掲載の「愛のインタビュー 其の壱」参照(P15の2段目)。
[18]業界紙「漫画新聞」第208号掲載の「第67回・平成 漫画家リレー訪問記」参照(5面の3段目)。
[19]ZOO副会長の楡達也(にれたつや)氏は、雑誌「奇想天外」(1978年2月号)で新人賞の最終選考に残った実力者。漫画ではありませんが、なんと2025年現在も、投稿サイト「小説家になろう」で作品の発表を続けていらっしゃいます。
https://mypage.syosetu.com/2621835/
[20]同人誌「ZOO」Finish掲載の「メンバー紹介」参照(P97)。

作画アシスタントの実際
[21]同人誌「えけれしゃ」Vol.1掲載の「愛のインタビュー 其の壱」参照(P15の2段目)。
[22]雑誌「少年/少女SFマンガ競作大全集」PART14掲載の「関西コミックパワーの秘密 PART2」参照(P197の1段目)。
[23]雑誌「ぱふ」1981年12月号(特集 森脇真末味)掲載「実録森脇真末味 君よ!愛に生きて!!」(P50-53)(** ちなみに本稿とはまったくもって関係ありませんが、竜巻竜次作品の名物キャラ「前田君」が山田漫画に變生したのが「多麻能美須麻流」…なのだと思われます。たぶん。おそらく。)
[24]業界紙「漫画新聞」第208号掲載の「第67回・平成 漫画家リレー訪問記」参照(5面の3段目)。
[25]連載第10回は、ハヤカワコミック文庫版「おんなのこ物語2」(2006年2月刊)ではP4~41の部分。

キャラクターデザインの萌芽
[26]同人誌「ZOO」vol.5掲載(P77-78)。
[27]雑誌「ぱふ」1981年12月号(特集 森脇真末味)掲載の「インタビュー・森脇真末味」参照(P32の2段目)。
[28]単行本「中公愛蔵版 おんなのこ物語1」掲載の「スケッチブック-おんなのこ物語より-」参照(P558)。同様のエピソードが、雑誌「ぱふ」1981年12月号(特集 森脇真末味)掲載の「インタビュー・森脇真末味」の中でも語られています(P36の1段目)。
[29]その山田家の家業について語られた小文としては、B5判中綴じ雑誌「クレッセント」No.2に短編漫画「蘇る愛(フェチ)」とともに掲載された、「山田章博トラバイエ・エッセイ/素晴らしき職人気質(かたぎ)の世界」があります(P171)。
[30]京都精華大学のシラバス(2013)によれば、山田教授の授業は「実践的キャラクターデザイン講座」というタイトルで、「教授の経験に基づいた実践的な仮想プロジェクトを設定し、そのキャラクターデザイナーとして仕事を疑似体験する。」というワークショップ形式のものだったようです(2013年度の科目名は「デザイン1K(前期)」「デザイン2K(後期)」)。

「姫路」での対談
[31]「森脇真末味×山田章博 デジタル対談」は、雑誌「ひさうちみちお&やまだあきひろ カンサイマンガ大全集」(SFマンガ競作大全集12月増刊号)に1ページ(P26)+雑誌「SFマンガ大全集」PART24に3ページ(P42-44)掲載。「カンサイマンガ大全集」については、その抜粋版が「山田章博&ひさうちみちお大全集」(1984年10月刊)として書籍化されています。
[32]姫路の商店街のアーケードを背景にした写真は、「カンサイマンガ大全集」の方に使用されています(ちなみに撮影場所は、駅前の「みゆき通り商店街」だったようです)。

「火狩りの王」そして「アスタリット星国記」
[33]ほるぷ出版公式サイト内「日向理恵子先生のブログエッセイ連載〈狩りの日記 〉③」参照
https://www.holp-pub.co.jp/news/n36685.html

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関係年譜
(* 橙色は森脇先生関係の事項緑色は山田先生関係の事項
(** おふたりが発表された作品については、主要なもの及び本稿に関連したものを立項しています。)

【1975年(昭和50年)】
1975年04月:漫画創作者グループ「ODIN」再結成(*もともとの結成は1973年6月)
1975年04月:山田章博先生、大阪経済大学入学。

【1976年(昭和51年)】
1976年12月頃:同人誌「ODIN」3号(「夢喰いドガ」掲載)

【1977年(昭和52年)】
1977年04月:漫画研究会「ZOO」結成
1977年05月:同人誌「MARINELAND」No.1(ZOO会報)
1977年05月:大阪経済大学 漫画倶楽部「飛行舎」結成
1977年06月:同人誌「乱葉」創刊号(飛行舎会誌)*6/6
1977年10月:同人誌「ZOO」Vol.1 *10/25
1977年11月:某女子大学園祭・ZOO最初の展示会(ZOOと飛行舎が初交流)*11/5-6
1977年秋?:同人誌「ODIN」4号(「灰になるまで」掲載)
1977年秋頃:某女子大学園祭・ODIN展示会(ZOOとODINが初交流)
1977年12月:雑誌「プレイガイドジャーナル」1978年1月号(特集「ぼくたちのまんが その1 ファンタジーとSF」)*12/下旬

【1978年(昭和53年)】
1978年02月:雑誌「プレイガイドジャーナル」1978年3月号(特集「ぼくたちのまんが その2 同人誌の血脈」)*2/下旬
1978年06月:ZOO/飛行舎 合同カット展(喫茶店「愚巣」)*6/4-6
1978年08月:「プチセブン・プチコミック まんがグランプリ」第1期発表(森脇真末味先生佳作受賞/「ビー・マイ・ラヴァ」)*8/1
1978年10月:同人誌「ZOO」Vol.2 *10/1
1978年11月:雑誌「プチコミック」昭和53年12月号増刊(「OH!マイ兄貴どの」掲載/森脇真末味先生プロデビュー)*11/1
1978年12月:同人誌「乱葉」2号(飛行舎会誌)*12/1

【1979年(昭和54年)】
1979年春頃:山田章博先生「ZOO」会員に。
1979年05月:同人誌「ZOO」Vol.3(「人魚變生」掲載)*5/30
1979年春?:同人誌「ODIN」5号(「はらからよ」掲載)
1979年11月:雑誌「プチコミック」昭和54年12月号増刊(「グリーンティー・ドリーム」掲載)*11/1
1979年11月:雑誌「ぱふ」1979年11・12月号(特集 全国まんが同人誌地図)*11/下旬

【1980年(昭和55年)】
1980年02月:雑誌「プチコミック」昭和55年3月号(「ドラムス」掲載)*2/1
1980年02月:「しのごの座談会」収録(「ZOO」Vol.4に掲載)*2/17
1980年03月:雑誌「プチコミック」昭和55年4月号増刊(「四月の雨」掲載)*3/1
1980年04月:同人誌「ZOO」Vol.4(「魔法使いの弟子」掲載)*4/1
1980年春~夏頃:森脇真末味先生「ZOO」会員に。
1980年04月:雑誌「プチコミック」昭和55年6月号(「アンバランス・シティー」掲載)*4/24
1980年06月:雑誌「プチコミック」昭和55年8月号(「きえない煙草」掲載/連載第1話)*6/24
1980年07月:同人誌「ODIN」6号
1980年07月:単行本「緑茶夢1」(フラワーコミックスPS版)*7/下旬
1980年07月:雑誌「プチコミック」昭和55年9月号(「黒いサンダル」掲載/連載第2回)*7/24
1980年08月:「しのごの座談会 PART2」収録(「ZOO」Vol.5に掲載)*8/16-17
1980年08月:雑誌「プチコミック」昭和55年10月号(「ファンレター」掲載/連載第3回)*8/24
1980年08月:単行本「緑茶夢2」(フラワーコミックスPS版)*8/25
1980年09月:「コミック・フェスティバル IN KOBE・2」(ODIN/ZOO 原画展)*9/7
1980年09月:同人誌「MARINELAND」No.38(ZOO会報/「黒いファンレター」掲載
1980年09月:雑誌「プチコミック」昭和55年11月号(「フェイドアウト」掲載/連載最終回)*9/24
1980年11月:単行本「緑茶夢3」(フラワーコミックスPS版)*11/25
1980年12月:雑誌「プチコミック」昭和56年2月号(「ピンクエンジェル」掲載)*12/24
1980年12月:同人誌「MARINELAND」No.39(ZOO会報/「ZOO」漫画研究会から創作同好会へ)
1980年頃:「マスターのお洒落専科」制作(「ZOO」Vol.5に掲載)

【1981年(昭和56年)】
1981年01月:「おんなのこ物語」連載第1回 脱稿 *1/14
1981年01月:雑誌「プチコミック」昭和56年3月号(「おんなのこ物語」新連載/連載第1回掲載)*1/24
1981年01月:「春宵綺譚」脱稿 *1/25
1981年02月:「ぱだんぱだん」脱稿 *2/8
1981年02月:同人誌「ZOO」Vol.5(「春宵綺譚」掲載)*2/14
1981年03月:雑誌「阿蘭」(「ぱだんぱだん」掲載/山田章博先生プロデビュー)*3/5
1981年03月:単行本「緑茶夢4」(フラワーコミックスPS版)*3/20
1981年03月:「ライヴ・コミック'81 PartⅠ」(大友出版主催の同人誌即売会/「ZOO」Vol.5初売り)*3/29
1981年05月:山田章博個人誌「天空人讃揚」
1981年07月:雑誌「ALLAN」5号(「素描集・みづは」掲載)*7/5
1981年07月:「しのごの座談会 PART3」収録(「ZOO」Vol.6に掲載)*7/5,16,18
1981年10月:雑誌「プチコミック」昭和56年12月号(「おんなのこ物語」連載第10回掲載)*10/24
1981年11月:雑誌「ぱふ」1981年12月号(特集 森脇真末味)*11/1
1981年11月:同人誌「MARINELAND」No.46(ZOO会報)
1981年11月~年末頃:創作同好会「ZOO」解散 *11/23
1981年11月:単行本「おんなのこ物語1」(フラワーコミックスPS版)*11/25
1981年12月:同人誌「桃色軍団」第2号(森脇真末味FC会誌/「マスターのお洒落専科」再録)*12/16

【1982年(昭和57年)】
1982年01月:インタビュー「大正浪漫の意匠に魅かれる」収録(「マンガ宝島」に掲載)*1/2
1982年01月:雑誌「プチコミック」昭和57年3月号(「おんなのこ物語」第2部第1話/連載第12回掲載)*1/24
1982年02月:雑誌「マンガ宝島」*2/10
1982年02月:同人誌「ZOO」Vol.6 *2/15
1982年02月:インタビュー「愛のインタビュー 其の壱」収録(「えけれしゃ」Vol.1に掲載)*2/28
1982年03月:山田章博先生、京都へ転居。
1982年03月:同人誌「えけれしゃ」Vol.1(山田章博後援会誌)*3/28
1982年04月:単行本「おんなのこ物語2」(フラワーコミックスPS版)*4/下旬
1982年04月:単行本「人魚變生」(マイコミックス)*4/下旬
1982年04月:雑誌「ぱふ」1982年5月号(創作同好会「ZOO」紹介記事掲載)*4/下旬
1982年08月:インタビュー「薄闇の世界より」収録(「ぱふ」1982年10月号に掲載)*8/9
1982年08月:同人誌「ZOO」Finish *8/16
1982年09月:雑誌「ぱふ」1982年10月号 *9/初旬
1982年09月:単行本「おんなのこ物語3」(フラワーコミックスPS版)*9/25

【1983年(昭和58年)】
1983年01月:雑誌「プチコミック」昭和58年3月号(「おんなのこ物語」最終回/連載第23回掲載)*1/24
1983年03月:雑誌「プチコミック」昭和58年5月号(「谷山浩子・ねこの森対談」第9回 ゲスト森脇真末味)*3/24
1983年04月:雑誌「プチコミック」昭和58年6月号(「かきねの妹」掲載)*4/24
1983年05月:単行本「おんなのこ物語4」(フラワーコミックスPS版)*5/末
1983年08月:単行本「おんなのこ物語5」(フラワーコミックスPS版)*8/25
1983年夏頃:姫路で「森脇真末味×山田章博 デジタル対談」収録(「カンサイマンガ大全集」+「SFマンガ大全集」PART24に掲載)
1983年11月:雑誌「ひさうちみちお&やまだあきひろ カンサイマンガ大全集」*11/16

【1984年(昭和59年)】
1983年02月:雑誌「SFマンガ大全集」PART24 *2/6

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関連サイト
この口上のタネは、1998年から四半世以上にわたって山田章博作品研究を展開してきた、砥部粧さん運営のファンサイト「山田章博 作品目録」にあります。いわゆる作品目録から、詳細を究める一枚一枚の絵の注釈まで、ほかではちょっとお目にかかれない豊富な資料が用意されていますので、山田作品研究を志す皆様は、ぜひ一度ご訪問いただけますよう。

「山田章博 作品目録」
http://hako19980222.g1.xrea.com/index.html

また、下記の2つの施設には、本稿でも参照しているとても貴重な初期の山田章博先生関係の資料が収められています。機会がありましたら、ぜひご訪問くださいね。

「大阪府立国際児童文学館」
https://www.library.pref.osaka.jp/site/jibunkan/
(* 「ZOO」Vol.3~FINISH、「ODIN」6号などを所蔵)

「横山隆一記念 まんが館」
http://www.kfca.jp/mangakan/
(* 「ZOO」Vol.2~FINISH、「乱葉」2号、「えけれしゃ」Vol.1、「天空人讃揚」などを所蔵)

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